有識者会議の「論点整理」を読んで
有識者会議の論点整理を読んだ。さすが官僚が作っただけあって、よくまとまっている。
論点は主に、陛下の負担軽減を、現行制度下における公的行為の縮小や国事行為の臨時代行でするか、摂政の設置要件拡大など制度改正によってするか、それとも今上陛下の退位(譲位)によってするかという問題が一つ、そして陛下が退位されるとした場合、それは将来の全ての天皇を対象とすべきか、今上陛下に限ったものとすべきかという問題が一つである。前者に関しては、国民世論の圧倒的多数の支持もあり、政府は退位「容認」に動いているが、後者に関して、将来の全ての天皇を対象とする場合の課題が四頁にわたって列挙されており(今上陛下限りの課題は一頁)、退位の恒久的制度化に対する有識者会議の慎重姿勢が表れている。
興味深いのは、論点整理が、設置要件拡大による摂政設置の課題として挙げた「制度上は象徴であるが象徴としての行為を行わない天皇と、制度上は象徴ではないが実質的には象徴が行う国事行為や公的行為を行う摂政とが並び立つことになるので、国民は天皇と摂政のどちらが象徴で、権威があるのか分りにくくなり、象徴や権威の二重性の問題が生じるのではないか」という点は、そっくりそのまま、退位による新天皇の即位の課題として「長期にわたり象徴であられた今上陛下が退位された場合、権威は引き続き残るので、国民は退位後の天皇も象徴や権威ある存在として見ることとなり、二重性の問題が生じるのではないか。」と、鏡写しのように記されていることである。
同様のことは、退位が将来の全ての天皇を対象とする場合の課題として挙げられている「恒久的な退位制度を作る場合、退位の要件を設ける必要がある。将来の全ての天皇を対象とした個別的・具体的要件を規定することは困難であることから、一般的・抽象的な要件を定めることになるが、その場合、時の権力の恣意的な判断が法の要件に基づくものであると正当化する根拠に使われるのではないか」という点は、退位を今上陛下に限った場合も「後代に通じる退位の基準や要件を明示しないこととなるので、後代様々な理由で容易に退位することが可能になるのではないか。その場合、時の権力による恣意的な運用も可能になるのではないか。」と、全く裏返しの理由が記されているのである。
このように、論点整理が示した摂政か退位か、退位は全ての天皇か、今上限りかという問題はそれぞれに一長一短あり、結論は一定し難い。しかしだからこそ、我々国民は、この国論を二分する問題については、最終的当事者であらせられる今上陛下の御聖断を仰ぐ他はないのではないか。このように愚考した次第である。